ゆうやんのアトランタ路地裏ブログ

Magic: The Gatheringの大会参加レポやデッキガイドなど

俺とプロツアー

プロツアーを目指すようになったのは、いつからだっただろうか。
今となっては、その正確な日付を思い出すことはできない。既に10年以上前にはプロツアーに憧れを抱いていて、栄光の舞台を目の当たりにするために、マジックを続けてきた。

きっかけだけは今でも覚えている。エクステンデッドのPTQで初めてトップ8に入り、準々決勝で敗れた後に、言われた言葉だ。

 

俺がマジックに初めて触れたのは、旧ミラディンの時だった。その時組んだデッキは「ブルードスター型の親和」で、ダークスティールが加入してからは「電結親和」を組んでいた。当時からFNMにはよく出ていたし、五竜杯やPWCといった7回戦を超える草の根大会にも積極的に参加していた。
学校の友人とマジックをカジュアルに遊んでやがてのめり込んで大会に参加する、というありがちなプロセスを俺は踏まなかった。

 

そんな俺が何を目指していたのかと言えば、それはわからなかった。漠然と「勝ちたい」であったり、「賞金がもらえるようになりたい」という気持ちはあった。でもどういった大会で賞金をもらえるのかはわからなかったし、グランプリとプロツアーの違いも知らなかった。

だからPTQにも、五竜杯やPWCと同じ気持ちで参加していた。
初めてトップ8に残った時は、ただ純粋に嬉しかった。準々決勝で敗れて賞品のパックをもらった後も、俺は笑顔だった。大会に出て、決勝ラウンドまで勝ち進み、賞品がもらえるなんて。自分が優れたプレイヤーであることの証明に他ならないと考えていたからだ。

 

だからこそ、疑問だった。
「悔しいね」
準々決勝で敗北した俺に対しての、井川さんのその言葉が。

 

Hareruya Prosの井川 良彦さんは、当時は学生だった。
イグニス大泉学園店の常連だった井川さんは、当時はPTQに向けて熱心にマジックをしていた。
俺は友人がきっかけでイグニスに通うようになり、そこで井川さんと出会い、PTQという大会の存在を教えてもらった。
「PTQは普通の大会より強い人がたくさんいて、優勝するとプロツアーに行けるんだよ」
確か、そんな風に説明してくれていたと思う。
だけど俺は、PTQの準々決勝で負けた時、「強い人がたくさんいる大会でベスト8だったんだ」という気持ちしかなかった。

 

だから、井川さんの言葉がわからなかったのだ。
俺は悔しくなかったのだから。

 

それから、井川さんがPTQで涙を呑む姿を何度も見てきた。
ある時は準々決勝で、またある時は決勝で。井川さんは何度もプロツアーの権利を取る寸前まで行っていた。時には東京で、またある時は大阪で。
決勝ラウンドで負けた悔しさを語る井川さんを見て、俺の心は、プロツアーに釘付けになっていった。
「この人が憧れるプロツアーと言う場所は、どんなところなのだろうか」と。

 

そんな疑問を抱きながらマジックをプレイしていくにつれて、徐々にプロツアーへの憧れは大きくなっていった。

特にPTQでは強いプレイヤーと対戦することも多く、明らかに俺は自分が格下だと確信していた。例えば山本 賢太郎さんだったり、高橋 優太さんがそうだ。

そんな強いプレイヤーが一心不乱に目指すプロツアーとはどんな場所なのか、好奇心と憧れが膨らむばかりだった。

そして、草の根大会で5勝2敗の成績を収めるのに安定していた俺は、プレイヤーとして確実に強くなっていた。
優勝したらグランプリの3ByeがもらえるGPTで優勝できる程度の実力はあり、PTQのトップ8で敗北すると、嬉しさよりも悔しさが先行していた。

自分が強くなって、プロツアーが近づいていると感じるようになったから、悔しさを感じていたのだ。今考えればおこがましいのだが、血気盛んな18歳ゆえ、許してほしい。

 

俺が初めてPTQを突破したのは、2010年1月17日のことだった。
プロツアー・サンファン予選。それは千葉市民会館で行われた、エクステンデッドのPTQ。
予選ラウンドでは平林さんをはじめとした数多の強敵を倒し、準々決勝ではチンネンさんが立ちはだかった。
チンネンさんが使っていたのはアイアンワークスコンボ。メインボードを3ターンキルした後、2ゲーム目では《虚空の力線/Leyline of the Void》を張られたが、《ナルコメーバ/Narcomoeba》に《梅澤の十手/Umezawa's Jitte》を装備して、そのまま殴って勝利した。
準決勝ではデブのドレッジと壮絶なミラーマッチを戦った。
デブのリストは《エメリアの盾、イオナ/Iona, Shield of Emeria》を2枚入れており、明確に俺のドレッジよりも優れていた。だがその日の俺はデブよりツイていて、デブはいつものように不機嫌そうな顔でため息をついて、投了した。
決勝では、もりしょーが立ちはだかった。
楽勝なはずのメインボード。だが《留まらぬ発想/Ideas Unbound》と《面晶体のカニ/Hedron Crab》で発掘カードが1枚も落ちないまま、俺は《タルモゴイフ/Tarmogoyf》に殴り殺された。
いつもなら腐るはずの俺だが、その日はなぜか冷静だった。発掘のできないハンドをきちんとマリガンし、《不可思の一瞥/Glimpse the Unthinkable》から発掘を続けた。もりしょーのデッキには墓地対策が《根絶/Extirpate》しか入っておらず、俺はなんとかサイド後の2ゲームを取り返した。

 

何十回目かの挑戦で、俺は初めてプロツアーの権利を獲得して、その瞬間はただ嬉しかった。「おめでとう」とみんなが祝福の言葉をかけてくれて、笑顔でそれに応えていた。
だが、友人のにゃがだけは、おめでとうの前に言った。
「長かったな」その後に、「おめでとう」と付け足した。
長かった。その言葉に俺は涙してしまった。プロツアーまで長い道のりで、長すぎて自分でもその距離を忘れていた。にゃがの言葉で、俺はそれを思い出した。

 

結果的に、俺はそのプロツアー・サンファンには出場できなかった。飛行機トラブルに見舞われて、俺が到着した時には既にドラフトラウンドは終了していた。
勿論プロツアーに出られないことは悲しかったが、悔しさはなかった。「真剣にマジックをしていればプロツアーにまた出られるようになるんだ」と、楽観的な気持ちがあった。PTQを抜けた自分に自信があったのだ。

それからというもの、俺は構築グランプリでほとんど二日目に残っていた。4敗や5敗でグランプリを終えることも多く、毎回のように少しのプロポイントと賞金を獲得していた。
だから、自分の実力を疑うこともしなかった。
「いつか順番が巡って、プロツアーに行ける。その実力があるから、グランプリで安定した成績を残せるんだ」そう確信して、グランプリとPTQに出続けていた。プロツアーに再び出られる日が来ると信じて。

 

だが、その日は訪れなかった。
PTQがなくなって、PPTQが始まった。ありがたいことに遊々亭や晴れる屋など、海外グランプリへの参加に肯定的な会社で働くようになった2016年からは、アジアグランプリも回れるようになった。調整仲間もできて、強いデッキをグランプリに持ち込めるようにもなった。
去年は、初めてアメリカのグランプリにも参加した。練習のために一日Magic Onlineを2リーグ以上プレイし、グランプリ・オクラホマの会場で誰よりもモダンをプレイしている自信さえあった。
それでも、チャンスは巡って来なかった。

 

そして、人生の転機も訪れようとしていた。
とある事情で、グランプリ・プラハとグランプリ・香港の連戦を最後に、しばらく海外グランプリへ参加するのは控えようと考えていた。

もちろん、「勝てなかったから海外グランプリへの参加を諦めようとした」わけではない。マジックをやめるつもりは元よりなく、少なくとも一年ほどは海外に行ってプレイするのは難しくなりそう、という程度の話だ。

とはいえ、それはプロツアーに参加するという長年の夢を、一時的にとはいえ諦めるということに等しかった。

 

しかし、グランプリ・プラハでマジックの神様はついに俺に微笑んだ。
15回戦、ゲーム3。俺の初手は《貴族の教主/Noble Hierarch》、《献身のドルイド/Devoted Druid》と2枚の《召喚の調べ/Chord of Calling》、後はすべて土地。意を決してキープした。
相手の初動は2ターン目の《翻弄する魔道士/Meddling Mage》。ごくりと唾を飲み込む。その指定は《聖遺の騎士/Knight of the Reliquary》だった。
俺は《献身のドルイド/Devoted Druid》をプレイしてターンを終了する。
相手は手札から2枚目の《翻弄する魔道士/Meddling Mage》。そして指定は――《療治の侍臣/Vizier of Remedies》。
そこからは、俺の記憶はほとんどなかった。《召喚の調べ/Chord of Calling》を打って《療治の侍臣/Vizier of Remedies》をサーチし、もう1枚あることを伝え、《薄暮見の徴募兵/Duskwatch Recruiter》を見せる。そしてデッキの《歩行バリスタ/Walking Balista》を開示し、差し出された手を握り返した。


このつぶやきは、気付いたら打ち込んでいた。
何度、この瞬間を夢見たことか。
夢の中で、何度もプロツアーの権利を獲得したことがあった。だがその興奮がいつまでも醒めなかったのは、今回が初めてだった。そう、今回ばかりはそれは夢ではなく現実だった。

 

井川さんの「悔しいね」から十余年が経った。あの時、PTQに打ち込む井川さんに出会っていなかったら、プロツアーに取りつかれることはなかったかもしれない。
にゃがの「長かったな」から8年が経った。にゃがの言葉通り、本当に辿り着くのに、長くなってしまった。

最近は俺よりもずっと若いプレイヤーや、マジック歴の短いプレイヤーが、何人もプロツアーへ出場している。だからプロツアーで優勝したならまだしも、権利を獲得した程度で、これまでのマジック人生を振り返るというのは、大袈裟に感じるかもしれない。
それでも、俺にとってプロツアーは、長年の悲願だった。プロツアーの舞台は、夢そのものだ。そこに俺が立てる。光を浴びるチャンスがある。そう思うと、胸の高鳴りが収まらない。

 

待っていろ、プロツアー。

今度こそ栄光の舞台に俺は立つ。